【カバラ・生命の樹ってなに?】のリライト3回目です。
<前回のまとめ>
ユダヤ教には、聖書(キリスト教における「旧約聖書」)には書かれていない、
口伝によって伝承されてきた教えがあった。
それを「口伝」を表すヘブライ語のことば「カバラ」と呼んだことから、
「カバラ」ということば自体が、
「聖書には書かれていない、口伝による教え」の意味を持つようになった。
続きです。
この
「聖書(つまり書物)には書かれていない、
口伝によって伝承されてきた教え」
なのですが、
こういった
「一般に広まっていく教えとは別に、あんまり一般的には広がらない教え」
というものが、
世界中の様々な宗教の中に、見出せるそうです。
そして、各宗教における
「一般に広まっていく教えとは別に、あんまり一般的には広がらない教え」
の共通要素を見ていくと、
「神秘主義」ということばで括られるタイプの教え
ということがいえるらしいのです。
「神秘主義」という新しいワードが出ましたね。
伊泉先生の「生命の木・ダイジェスト版講座」では、
「ユダヤ教・キリスト教の場合」として解説していただきました。
ユダヤ教、またそこからの派生であるキリスト教は、
一神教、つまりひとつの神を崇める宗教であり、
また、「神」と「人」は全く別格の存在なのですね。
基本的にユダヤ教やキリスト教では、
「人」が「神」になるということはあり得ないし、
そこには絶対的な断絶があるのです。
ところが、
「神秘主義」というのは、
「神」と「人」が、直接繋がることができる、
さらにいえば、
「神」と「人」が、ひとつになる、
とまで説くタイプの教えのことなのです。
そして、
どうやって「神」と「人」がひとつになるのかというと、
「神秘的な体験」を通して、それは可能になるということです。
たとえばユダヤ教であれば、
特別な「預言者とされる人」だけが、神からの声を聞きます。
でも一般の人は、特別な人である預言者が伝える「神」のことばを聞くだけです。
一般の人が、「神」と直接繋がることはないのです。
キリスト教でも、
「神」と「人」の間に、教会というものが必ず挟まれます。
「神」と繋がるのには教会に入らなければいけない、
教会に入ってこそ天への道は開かれるということです。
つまり「神」と繋がるには仲介が必要なのですね。
「神」と「人」が直接交わるなどということはないのです。
ところが、
「神秘主義」と括られるタイプの教えというのは、
「神」と「人」が、結びつくことができる
というものなのですね。
特別なエリートだけではなく、
すべての人が、「神」と直接繋がることができる!
という教えなわけです。
このような教えが、「聖書」には書かれず、
「口伝」によって伝承されて来たわけです。
これが、「カバラ」として伝わってきた内容です。
この段階ではかなり抽象的な表現になりますが、
「生命の樹」の構造を理解するにつれ、意味がわかってくると思いますので、
引き続きお読みください。
スピカ
参考:各Wikipediaページ
“カバラーとは、ユダヤ教の伝統に基づいた創造論、終末論、メシア論を伴う神秘主義思想である。”
“神秘主義(しんぴしゅぎ、英: mysticism)とは、絶対者(神、最高実在、宇宙の究極的根拠などとされる存在)を、その絶対性のままに人間が自己の内面で直接に体験しようとする立場のことである。”
“キリスト教神秘主義(キリストきょうしんぴしゅぎ)は、人間が、神、イエス・キリスト、聖霊を直接経験するための哲学と実践である。”
アメブロ過去記事↓
0コメント